「映画は自由なもの。そこに映画の力を感じるんです」こども映画教室代表・土肥悦子さん|映画人インタビュー第4弾

こんにちは、World Theater Project広報担当の岩井です。様々な形で映画活動に邁進されている”映画人”にお話を聞きに行くインタビュー企画。今回は、こども映画教室の代表、土肥悦子さんです!

土肥悦子(どひ・えつこ)シネモンド代表、こども映画教室代表、金沢コミュニティシネマ代表、ワークショップデザイナー。2015年度日本映画ペンクラブ奨励賞受賞。ミニシアターブーム全盛期の1989年に映画配給興行制作会社ユーロスペースに入社し、買付、宣伝を担当する。アッバス・キアロスタミやレオス・カラックスなどの作品を担当。『そして映画はつづく』(晶文社刊)企画・翻訳。1998年にミニシアター「シネモンド」を金沢に開館。2003年「金沢コミュニティシネマ準備委員会(現金沢コミュニティシネマ)を立ち上げる。2004年から金沢で「こども映画教室」をプロデュース。2011~2013年、東京新聞「言いたい放談」にて隔週でコラムを執筆。2012年アミール・ナデリ監督『駆ける少年』配給宣伝を手がける。2012年青山学院大学社会情報学部ワークショップデザイナー育成プログラム修了。2013年、東京で任意団体「こども映画教室」を立ち上げ、その活動を横浜、川崎、福島、弘前、八戸、尾道、高崎、上田、豊田など全国に広げている。

編著:『そして映画はつづく』『こども映画教室のすすめ』『映画館(ミニシアター)のつくり方』

こども映画教室:http://www.kodomoeiga.com/
「こどもと映画のアカルイミライ」をミッションに、全国で映画ワークショップの企画・実施、学校や教育機関などへのワークショップのコーディネートや、シンポジウムの開催などを行っている。

 

映画がとにかく大好きだとお話してくださった土肥さん。フランスで映画を学んだあと、映画配給会社ユーロスペースにて宣伝担当としてご活躍。その後、金沢に映画館「シネモンド」を開館。現在はこども向け映画ワークショップ「こども映画教室」を運営されています。映画愛に溢れる土肥さんに、これまでと現在の活動や、映画に対する想いをたっぷりお伺いしました!

浴びるように映画が観たい!

映画のお仕事につくきっかけを教えてください。

映画を好きになったきっかけは、ジェームス・ディーンでした。中学生のころ、路上でジェームス・ディーンのポスターが売られているのを見て、その場で一目惚れ(笑)。その頃は映画俳優としてではなく、アイドルを追いかける感覚で、お小遣いを貯めては彼の写真集やグッズを集めていました。高校に入り、代表作『エデンの東』と『理由なき反抗』で、はじめて動いているジェームス・ディーンを観て感激しました。

その後、筑波大学に進学し8ミリフィルムで映画を撮るサークルに入りました。そこで初めて映画をつくる経験もし、友人に色んな映画を教わっては、東京の名画座にも連れて行ってもらったりしました。

筑波大学を卒業した後、「浴びるように映画が観たい!」と思い、「それならフランスだ!」という感じで、まずは東京のアテネフランセでフランス語を勉強し、フランス語を使うバイトをみつけ勉強しながら渡航費用を貯め、南仏の大学でフランス語を勉強することを決めてから渡仏しました。その後、留学先に決めていたパリ第三大学の最終学年に編入し、その後修士に進みました。

パリではひたすらシネマテークに通い、浴びるように映画を観ました。今思うと、当時とにかく沢山映画を観ていたことが、面白い作品をみつける直感力を鍛えられたのかなと、思います。

 

フランスで運命の出会い。そしてユーロスペースへ。

フランスではどのような活動をされていたのですか?

留学中、当時映画ジャーナリストで、今は映画プロデューサーをしていらっしゃる吉武美知子さんとの出会いが、その後の映画人生を進む大きなきっかけとなりました。フランスで活躍されている吉武さんの人柄に魅せられ、アルバイトをさせてもらいながら色々学ばせてもらいました。

しばらくして、吉武さんからユーロスペース社長の堀越謙三さんを紹介され、就職面接を受けることになりました。当時26歳だったのですが、堀越さんとの面接の際、「産休はとれますか?」と聞いたり、ユーロスペースで映画を観たことがないことを告白したりきっととても生意気な若者だったと思います(笑)。でも、そんな私の物怖じしない性格を面白がってくださったりのか、ユーロスペースに入社できることになりました。

ユーロスペース時代、印象に残っているお仕事について教えてください。

カンヌ映画祭でイランの映画監督アッバス・キアロスタミの作品に一目惚れし、買い付け、日本で初めてイラン映画を上映したことでしょうか。映画祭でとにかく沢山の作品を観て回る中で、キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』という作品に出会ったとき、衝撃を受け、その時はじめて「心からこの映画を買いたい!」と感じました。当時まだ映画買い付けの交渉スキルもままならなかったのですが、とにかくキアロスタミ監督の映画を日本に紹介したいという想いで、海外セールス会社の社長に無我夢中で交渉しました。

当時(1992年頃)、ちょうど日本には多くのイランの人たちが出稼ぎに来ていた時代。彼らの日本での扱われ方は非常に差別的なものでした。私はフランスで差別的な扱いなど受けていませんでしたが、それでも外国人としてフランスにいるとき、日本の映画について褒めてもらうと、とても誇らしい気持ちになったことを思い出しました。だからこそ、この素晴らしいイラン映画を日本で頑張っているイランの人たちに見せたいと思いました。そして日本の人たちにイラン映画の素晴らしさを知ってほしいと思い、とにかく必死に掛け合いました。普通は、映画祭現地で交渉が決まることはほぼありませんが、その場で「あなたの熱意にまかせましょう」と言ってもらえ、買い付けが決まりました。このときは心の底から嬉しかったですし、映画の世界で頑張ろうと思った瞬間でした。

翌年の1993年、キアロスタミ監督作品『友だちのうちはどこ?』『そして人生はつづく』を日本で初公開しました。それまでイラン映画は日本で劇場公開されたことがなく、しっかり丁寧に紹介したいと頑張りました。

日本初公開のイラン映画を成功させる秘訣はなんだったのですか?

「熱量」だと思います。その作品の面白さをいかに伝えられるか。映画評論家の淀川長治さんにお会いしたことがあるのですが、その時「宣伝マンは自分の宣伝する作品について日本一詳しくないといけない」「作品のいいところを誰よりも多くみつけなさい」と声をかけていただきました。淀川さんからのご指南もあり、自分が心から良いなと思ったことを言葉にのせて宣伝しましたね。そうすると、自然と熱が伝染していき、多くの新聞や雑誌に取り上げてもらえました。このとき、宣伝の極意みたいなものを感じたように思います。

 

「シネモンド」開館から「こども映画教室」設立へ。

とにかく映画が好きな土肥さんは、映画から沢山与えてもらっているなと感じつつ、ふと「自分は映画に対して何ができているのだろう」と考えるようになったそうです。そんな時、結婚を機に金沢に生活拠点を移されました。金沢に住んでいた5年の間に、2人のお子さんを出産し子育てに専念しながらも、なんと映画館「シネモンド」を開館。その後も映画への熱は冷めることなく、2004年に「こども映画教室」を設立されて今年で13年が経ちます。ここからは、「こども映画教室」での取り組みについて詳しくお伺いします!

 

こども映画教室をはじめるきっかけはなんだったのですか?

シネモンドが経営的に困難な状況にあり、安定して、多種多様な映画を届けるため、公設民営の映画館、コミュニティシネマを作ろうと思ったのが前段にあり、では、その公設民営の映画館ができた暁に、どんなことをそこでやるのかと考え、その時、思い浮かんだのが、こども、というキーワード。そこから思い出したのが、昔観た、チリのドキュメンタリー映画『100人の子供たちが列車を待っている』でした。この映画の中では貧しい暮らしをしている子どもたちが「こども映画教室」に通ううちにどんどん目を輝かせていき、自信に胸を張っていきます。それで、こどもにまつわることをやるならば、「こんな映画教室をやってみたい」と思ったのです。チリと日本ではあまりにも社会的背景が違うため、初めて実施する際は子どもたちの反応を気にしましたが、やってみたらそんな心配は無用でした。

映画をつくる体験を通して、子どもたちから感じとれた変化はどういうものですか?

私の子どもたちも小学生の頃何度もこども映画教室に参加していました。(現在は大学生の男の子、高3・高1の女の子です。)真ん中の娘が2回目にこども映画教室に参加してしばらく後のこと。スーパーに買物に行きビニール袋が余ってしまったのですが、その時娘が自ら「レジまで返してこようか?」と聞いてくれました。恥ずかしがり屋な娘なのでいつもならこんなやり取りはないためびっくりして褒めると、「映画教室で大人にインタビューしてから自信がついたの」と。

こども映画教室では、子どもたちが主体的に映画をつくる場なので”大人は口出ししない”というルールを設けています。ですので、お店等への撮影や取材交渉に関しても大人は手伝いません。そういう状況で、映画をつくるために子どもたちが自ら知らない大人達と触れ合ううちに、いつしかたくましくなっているのだなと、自分の娘の変化を見て実感しました。

子どもたちの自己肯定感の向上にも繋がりますね。

こども映画教室に市井昌秀監督をお招きした際、監督が言ってくれた感想がとても印象に残っています。

「こどもたちに、あなたが必要ですと言い続ける3日間だった。」と。

映画をつくるということは、そこにいる誰が欠けてもできない作業です。監督の言葉をきいて、こども映画教室は、参加してくれた子どもたち一人ひとりに、「あなたが必要だよ」と言い続けるような活動なんだなと感じました。

映画鑑賞ワークショップについても教えてください。

鑑賞ワークショップでは、映画を観るだけでなく、必ず観終わったあとに子どもたち同士でワークショップをやってもらいます。映画の解釈について正解を導くようなものではなく、映画の感想や分からなかったところを子どもたちが自由に発言できる場作りを何よりも大事にしています。そうすることで、「自由に発言してもいいんだ」という安心感を感じてもらうことで、活発なワークショップにつながります。

鑑賞する映画作品はどのように選定されていますか?

こども向けに作られた作品というよりも、自分が観て心動かされた作品で、かつ、こどもたちがドキドキワクワクしそうな作品を選ぶようにしています。

「映画は、半分は作る人、もう半分は観る人がつくる」と言うように、感じ方は人それぞれ。正解も不正解もない、とても自由なものです。そこが映画の魅力であり、映画が持つ力だと思っています。

最後に、こども映画教室の醍醐味とは?

9年前に映画教室に参加してくれた女の子がいるのですが、そのときの特別講師だった是枝裕和監督に「いつか一緒に仕事をしましょう」と言ってもらったととても喜んでいました。そして今彼女は大学生になり、映像制作の道に進み、こども映画教室にもスタッフとして戻ってきてくれました。参加してくれた子どもが、映画の楽しさを知り、その道を選ぶことになったと聞き、13年こども映画教室をやっていると、こういうことが起こるんだなと、心から嬉しかったです。

子どもは必ず成長するもの。だからこそ、こども映画教室に参加してくれた子どもたちのその後の成長を知れたとき、「続けていてよかった」と思えます。

 

記事担当

岩井 由生(いわい・ゆう)
1989年生まれ。大阪府出身。早稲田大学文化構想学部卒業。現在社会人5年目で、リクルートコミュニケーションズに勤務。地方自治体や事業会社のプロモーションプランニング、制作ディレクションを担当。ワールドシアタープロジェクトでは広報を務めている。