皆さま、ご無沙汰しています。バングラデシュから、4ヶ月ぶりに活動の近況をお届けします。この数ヶ月間、バングラデシュでは「ハルのふえ」の現地語吹き替え版制作に取りかかり、2018年9月、国語のベンガル語と少数民族語のチャクマ語で、2本の移動映画館用アニメが完成しました。今回はまず、その制作裏話を皆さまへお届けしたいと思います。

やなせたかしさんの遺作「ハルのふえ」(トムス・エンタテインメント配給)

“HAL’S FLUTE” © Takashi Yanase / TMS All Rights Reserved

WTPで、カンボジアで最初に現地語(クメール語)に吹き替えられ、多くの子どもたちに届けられている日本のアニメ映画「ハルのふえ」。

思えば、私がWTPの行う移動映画館に最も共感したのは、こうして現地の言葉で映画を届ける姿勢でした。また、一度きりのイベントとして行って帰ってくるのではなく、現地人と協力し、運営を続けているところなどもそうです。

バングラデシュでの活動は今年動き出したものなので、最初は子どもたちに「フィルとムー」、DigiCon6 ASIAの優秀作品集を(ご提供いただき)観せていました。それらはセリフのないタイプのアニメで、世界中のあらゆる子どもたちに、瞬時に観せてあげられることに優れていると思います。

そして、今度はついに “バングラデシュの子どもたち” へ送るための “彼らの言語” でアニメを制作する機会を、50分尺の深いストーリーで、たくさんのキャラクターたちが登場するこの「ハルのふえ」でいただきました。

トップ写真は、現地語で声をあててくれた、吹き替え作業はまったく素人の私の友人たちです。左が国語であるベンガル語の題とベンガル組の仲間、右が少数民族語の題とチャクマ組の仲間です。
一つの国の中のニ言語でも、字体が全然違うことに気付いてもらえるかと思います。チャクマ語は、今も当然チャクマの人々に話されている言語ですが、文字はもう読み書きできる人が希少になってきているものです。なので、題名にあえてチャクマ文字を使い、チャクマアニメとして遺ってほしいという願いも込めました。

世界の中のバングラデシュという国に、そしてさらに片隅の少数民族地域に「ハルのふえ」が届いたこと…天国のやなせさんにも伝えたい報告です。

作品は、タヌキの母親と人間の子どもが主役で登場し、親子の絆を描きます。拾った赤ん坊のため、人間の姿に化けてその子を大事に育てるハル、幼少期にハルから草笛を教わり、それが嬉しくてどんどん上手になっていくパル。親子は森の中で、動物たちと優しい時間を過ごします。そんなある日、パルは街からやって来た音楽家に笛の才能を見い出され、都会で音楽を学ぶことになります。親子は離ればなれ暮らすことになりますが、幼少期のあたたかい思い出や、お互いに思い合い続けることで、未来に考えてもみなかった奇跡が起きていきます。

バングラデシュで、子どもたち、また、少数民族の友人たちのそばで過ごしてきて、親元や大好きな故郷から離れて暮らさねばならない境遇をずっと目にしてきました。それは日本でもあることですが、現地ではまだとても多いことのように思います。親を失ったためだったり、学校に通うためだったり、理由は色々です。それでも諦めないで、その先に未来や故郷の家族たちを想いながら、元気に生きていってほしい。WTPを通して、今お願いできるいくつかの作品の中、これを選んだのは、こうした状況と物語が少し重なり、現地の子どもたちを励ますヒントを与えられるアニメだと思ったからでした。

説明ではなくやはりアニメを、未だ観ていないという日本の皆さんへも、是非観てみてほしいと思います。この他にも、子ども時代に触れてほしい作品群を配給し、このような機会をくださったトムス・エンタテインメント様に今一度感謝したいと思います。

宗教行事ラマダーンと2回のイードに挟まれての吹き替え作業

6月末、バングラではイスラム教の断食月・ラマダーンの終わりでイードという休みを迎え、それを過ぎたらアフレコを始めるぞ!と思っていました。ただでさえ “バングラタイム” と言って物事が進まないこの国で、ラマダーン中は会社もお店も学校も、人々の活動が省エネモードとなり、苛々してる人もいたりして、とにかく仕事になりません。イード休みは通常3日間程のものですが、それもだらだら長引くことを、数年間暮らしている私は理解していたけれど、それでもやはり、吹き替えに取りかかれたのは7月末とようやくのことでした。8月末には2つ目のイード(コルバニイード)・犠牲祭がやってくる…9月上旬までに全作業を終われなければ、移動映画館のための日数もなくなり、私のビザが切れて一時帰国しなきゃいけない!と、心配事ばかりの夢を毎日見ていたほどでした。

しかし、そうした状況に怒ったり、動揺しては、この国でやっていくことはいっさいできません!2つのイード中は家で地道に、ひとりひとりのキャスト用に分かりやい台本作り等に励んでいました。先述したように、声をお願いするのはプロの声優ではなく、吹き替え素人の私の友人たちでした。

小さな役まで合わせたら、だいたい30のキャラクターが登場するのですが、色々考え、うまく組み合わせ、両言語とも私を含めた14人ずつで行うことに。ベンガル語は一人だけプロがいましたが、あとは主に大学生たちです。

少人数でやってしまおうと思えば、もう数人減らすことはできました。だけど、できるだけこのプロジェクトに関わる現地人が多くあってほしい、時間がかっても、上手くなくても、一緒に何かを成し遂げる経験や、ふつうの私たちが子どもたちのためにできる活動があることを体感してほしいと思いました。子どもたちに映画を届けるプロジェクトは、届けている瞬間だけに価値があるのじゃなくて、もっと大きな幸せを生む活動だという自信があったから、大勢でシェアしなきゃもったいないと思いました。

少数民族語・チャクマ語から吹き替えスタート

初めに、チャクマ語から吹き替えに取りかかりました。皆、チッタゴン丘陵地帯出身のチャクマ族の友人たちで、首都ダッカに学生や社会人として出てきています。なんだかんだもう3年以上の付き合いとなり、彼らにお願いすることは、私にとって気持ちが楽でした。

自然にチャクマ語から始められたのには、実はもう1つ理由があって、彼らがあまりお金の話をしないからなのです。こう言ったら変かもしれませんが、彼らの出身の村で、私も実際に暮らして感じてきたことで、そこの人たち同士で何かを与えて、貰ってという風景をよく目にします。何か手伝う時でも、「家族だから」「兄弟姉妹だから」(血の繋がりの意味じゃなく)と言ってやってあげている。私は、チャクマの友人たちのこの感覚がとても落ち着くのです。

彼らは、スタジオにお金がかかるのももったいないと言って、家である道具でやろう!ということになりました。そして、スタジオにかからなかった費用で呑もう!ご馳走して!というのも好きな感覚です。最終的に、チャクマ組がこうしてくれたおかげで、後に他でかかる費用の負担が減り、助かったのも事実。

家でのダビングでは、雑音を少なくするために全部の窓を閉め、電気(ファンや冷蔵庫)まで止めて、ただでさえ気温も高い中、毎日汗だくで行っていました。
アザーン(イスラム教の一日5回のお祈り放送)が流れると作業を休憩したこと、大雨や色々な工事、リキシャやヘリコプターが通る音等も引っ切りなしで邪魔をしてきたこと、ちょうどとある学生運動が起きて、吹き替え前に声を枯らしてきたメンバーがいたこと、主役(の声)が最後まで決まらず、ふらっと顔を出してくれた親戚の子が良い声で、こんな風にまた身内から救世主が現れたこと…などなど、ほほ笑ましい思い出がたくさんです。

国語・ベンガル語は友人のプライベートスタジオで

ベンガル語はバングラデシュの国語です。少数民族チャクマの友人たちにとって、それは母語ではないけれど母国語(国語として小学校から学ぶ)なので、ふつうに話すことはできます。だけど、ベンガル語の吹き替えはやはりその言葉が母語のベンガル人がいいだろうと考えて、それまで私にとって少なかったベンガル人の友人を、どうやって10人以上も集めようかと悩みました。

ダッカ大学に他言語を学ぶコースがあり、その日本語コースが主催するニホン祭(今年2月)というのに誘われて行ったことを思い出しました。そこで見た、日本好きなベンガル人の学生たちによる日本語の劇や歌、カラテやしりとりなどのパフォーマンスには愛がありました。そして、その彼らにアニメ吹き替えを頼むことに…それが、さらに想わぬ成果を生みました。なんと彼女たちは、既にできていた英語→ベンガル語の翻訳を、英語を介さずにアニメ本編の日本語から、もっと忠実な日本語に再翻訳したのです。とてもレベルが高い、そんな彼女たちの日本語勉強材料は何だったのか…それも、なんと日本のアニメでした!日本アニメを400以上も観てきたという彼女たち(自称「腐女子」!)に助けられ、感謝したのと同時に、海外でこんなに好かれる日本アニメの存在も、日本人として誇らしく感じました。

日本語長〜い!両組で手こずった問題

両言語のアフレコ、どちらでも手こずった問題がありました。それは…日本語が長い!ということ。表現が比喩的だったり、敬語があるせいや、そもそも渡されていた英訳が、一瞬にして(字幕として)読める用の簡潔なもので、それも長さにギャップを生んだ原因だと思います。

例えば、ナレーションで「そして、月日が流れて行きました。」というのが、現地語だと「ショモイ ジャー」とたったそれだけ…日本語まだ何か喋ってる!?と驚いたり、ナレーションならまだリップが合わなくてもごまかせるけれど、キャラクターのセリフ「なんという不思議な音色だ!」が「ヒーミデロー」、「だったらおもしろいけどね〜」が「ヒーアジバール」、「ここが、パルのいる町なのね!」は「イヨットパレタイ」と…長さが合わず、スクリーン上でキャラクターが空気をパクパクとする事態が頻発。ゆっくり言ってもどうにもならないものは、みんなで長文にする努力をしました。

また、「ハルのふえ」の主役のひとりは “タヌキ” ですが、バングラデシュにはタヌキが居ません。なので、両言語とも現地語にすることが適わず、チャクマ組では英語の “ラクーン” とし 、ベンガル組では日本語の “タヌキ” を採用しました。バングラデシュの子どもがひとつ日本語を覚える機会になるといいね!とアイディアを出したのも、私ではなく現地の仲間たちでした。

他にも、ワー!という感嘆詞さえ、オマドゥー!ダルン!バーバッ!と、私には聞き慣れない音だったり、このセリフの後に笑う意味が分からない…その感情よく分からない…と、彼らにとって不思議な日本の感覚があったり、表現にも演出にも、色々な突っ込みどころがあり大変でした。
アニメのアフレコでは、大人が子どもの声を、また、女の子が男の子のキャラクターを演じること等にも、彼らは新鮮さを感じていたようです。

作業を通して生まれたたくさんの気付きは、宝物のようです。私にとっては現地語の語彙も増えて、お互い学び合えた、おもしろく貴重な経験となりました。

制作後に思うこと

こんな風に、手作り感いっぱいで、きちんと出来上がるのかと、最後まで不安でした。ひとつひとつ障壁をクリアしていった毎日を、完成した今は忘れてしまいそうだけれど、ありがたい助けや大事なことがたくさんあったと思います。いくつかここに書き残しておきたいなと思うのが、

バングラ側に居て、日本からアニメ映像とME素材等を受け取る最終段階に至った時、およそ70GBのデータをこちらのネット環境ではダウンロードするのが到底無理!という事態になり、私の大学時代からお世話になっている先生が、そのデータをHDDへ取り込んでくれ、そして、ちょうどロヒンギャキャンプを訪れる予定だったフォトグラファーの友人が、バトンのようにそれを受け取り、バングラデシュまで運んでくれたこと。

それから、「ハルのふえ」の前に、実は学研様が「ニルスのふしぎな旅」の上映権をバングラデシュでも許可してくださいました。本当にありがたかったけれど、基本はイスラム教国であるバングラデシュでは、豚が神様として出てくるお話はタブーで、断念したほろ苦い思い出も。

そして最後に、今思うことは、この制作作業を含む移動映画館の活動を、また、まだまだ、もっとやっていきたい!という気持ち。

制作側で携わった友人から、上映側に携わった友人まで、このプロジェクトを結果的に楽しんでくれた現地の学生たち、そして気になってくれている大人の方たちが多くいて、子どもたち以上に!?と驚くぐらいの予想を越えた周りの人々の反応が嬉しかったから…現地の人たちが、不思議な日本人の私(のプロジェクト)を繫ぎ目に大きく膨らんで、ひとつの作品と移動映画館までを形作った…これから、もっと役割分担や関わる人を増やして、こうした一つの団体になっていけたらいいなと、夢も膨らみます!

追記。

バングラデシュの映画館や、子どもアニメ事情等について、ここには書き切れなかったことを以下のリンクで書きました。もし良ければ、そちらでさらに知ってもらえたら嬉しいです。
◎ABROADERS記事「映画館が危険な場所なんて嫌だ!バングラデシュの映画事情」 https://www.abroaders.jp/client/article-detail/1590
◎ABROADERS記事「バングラデシュの子どもたちへ、映画を!~現地の仲間とアフレコ編~」 https://www.abroaders.jp/client/article-detail/2055
◎チョトベラワークス Facebookページ https://www.facebook.com/chotobelaworks/

原田 夏美

日藝映画学科卒業後、ドキュメンタリー制作会社の勤務を経て、学生時代に映像課題のテーマにしたバングラデシュに2014年より暮らし始める。中でもチッタゴン丘陵地帯や少数民族地域と深く関わり、写真・映像制作を行う。現在は活動名を “ChotoBela works” とし、バングラデシュの子どもたちの「子ども時代」(チョトベラ)を彩れるよう、映画上映を含む活動に取りかかる。

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