皆さま、ご無沙汰しております。バングラデシュ / ChotoBela works より、約半年ぶりの活動報告です。2019年7月、コックスバザール県にあるロヒンギャ難民キャンプにて、「ハルのふえ」のロヒンギャ語吹き替え制作を行いました。
(本記事は、ABROADERSで 9月30日に公開された同タイトル記事を若干再編集したものです。)

3言語目

やなせたかしさんの遺作アニメ映画『ハルのふえ』を、現地ボランティアの仲間たちと協力して、バングラデシュの国語であるベンガル語、少数民族のいち言語であるチャクマ語の2言語に吹き替え制作し、農村部や非電化地域の学校や村に移動映画館で届けることができた昨年。
しかし、 本作の吹き替え制作は、まだ終わりではありませんでした。
実は、私たちはこれを「3言語」にさせてほしいと、トムス・エンタテインメント様より許可をいただいていました。
その最後1つが、ロヒンギャ語です。

国籍を認められていないとか、民族としての定義がどうとか……。そんなロヒンギャ語と述べることが気になる側の人々や、専門家などもいるかもしれません。だけど私は、ロヒンギャの人々が、彼らの話す言葉を「ロヒンギャ語」だと言うのなら、その通り認識したいという立ち位置です。
また、ロヒンギャ難民キャンプに関するニュースや記事は、政治問題、支援関係、彼らの悲痛さを伝えるようなものが多いと思います。緊迫した場所として伝えられることは必要かもしれませんが、その運命の上で今生きる、彼らの笑顔や楽しむ姿を、私は主に伝えたいと思います。

着想、「チッタゴン方言」に翻訳

「ロヒンギャ語で上映したい」と思いついたのは、現地で長距離バスに揺られている時。バス移動の長い8~10時間はいつもたいてい眠れず、色々なことを考えます。

私の地元・青森県で、鉱山と周辺地域が栄えた歴史を聞いたことがありました。鉱山と難民キャンプは違うものですが、事情で人々が集まることとなった場所です。そこで生きていくことを本人が選んだにしても、強いられたにしても、そうなった以上、人はその場所で生きる工夫や楽しみ、希望をも見出していくものではないでしょうか。
そうして私も、縁があって出会ったその場所で、何かをするなら……ということのひとつが、移動映画館でした。
また、彼らがロヒンギャとして迫害を受けて、アイデンティティを認められないという問題があるなら、せめて私は、彼らの存在を認める意を込めて、映画を彼らの言葉で作りたいと思いました。

翻訳は、昨年ベンガル語にした台本をもとに、まずは「チッタゴン方言」に、ChotoBela works のメンバー・ジョニー(ベンガル人)が行いました。チッタゴン方言とは、バングラデシュ南東部のチッタゴン方面(コックスバザール含む)で話される訛りなのですが、それは国語であるベンガル語を理解していても、別の言葉のように聞こえます。
そんなチッタゴン方言は、現地の人々曰く「ロヒンギャの言葉と7~9割が共通」しており、会話できるのだそう。さらには、チッタゴン丘陵地帯の少数民族語とも共通点が多く、土地と言語の繋がりを感じます。
少数民族の人々と関わって以来感じてきたことですが、みんな自身の言語を意識的に大事にしながら、周辺地域の他の言語もあたりまえにいくつか話せる能力があります。ロヒンギャの人々も、ロヒンギャ語を話しながら、バルマ語(ミャンマーの国語)の読み書きもできるし、国家も歌い、英語だって話せる人がいます。

RRRCオフィスで入域許可書取り、期間限定ラッキーロード

私の主な活動地・チッタゴン丘陵地帯と同様、ロヒンギャ難民キャンプにも「入域許可書」が必要です。
丘陵地帯に比べ、ロヒンギャ難民キャンプのそれはとてもスムーズに取ることができます。活動の種類や規模によるそうですが、移動映画館とそのためのロヒンギャ語音声ダビングは、WTPとChotoBela works の活動紹介や趣旨を話して、ベンガル人の担当者も快く受け入れてくれました。申請所は、コックスバザールの海沿いの道にあるRRRCオフィス(Refugee Relife & Repatriation Commissioner、 現地では Three R C Office とも呼ばれる)。
基本は、前日に本人が赴き(金・土曜以外の9~17時)、事前に作成した必要書類1通、証明写真、パスポートコピーを提出して、その場でサインをもらえます。一度の申請で3日間分の許可証が取れます。極力本人が届け出に来ることを求められますが、スケジュール的に難しい時は、現地友人の代行でも許してもらえました。

過去2言語へのダビング(記事URL https://worldtheater-pj.net/2018/10/19/0005/)は、ベンガル語はスタジオで、チャクマ語は私の家で行いましたが、ロヒンギャの人々は難民キャンプの外へ出ることは許されていません。私たちがキャンプへ行くことより、彼らがキャンプを抜け出さないかのチェックのほうが、道路では厳しく行われているのです。

ベンガル人は、見た目(顔立ちや肌の色など)がロヒンギャの人々と近いので、一緒にいてもよく質疑応答を受けたりしています。そんなこんなでまた、私がキャンプに通うという、新しいダビングの日々が始まリました。

余談ですが、コックスバザールは「世界一長いロングビーチ」とも呼ばれる、一応バングラデシュのリゾート地です。難民キャンプへ向かう道はいくつかあるのですが、私が通った7~8月は、海に近い一本の道が道路工事で塞がっていたため、海の真横を走り抜ける期間限定道ができていました(CNG車で行き来する時だけ)。
眩しく光り輝く海辺の景色に、疲れも癒されて「ずっと工事中ならいいのに!」と思ったほど気に入り、ラッキーロードと心の中で呼んでいました。潮の満ち引きで通れる時間と通れない時間があったりして、道が現れるのを待つ……なんて自然次第なところも好みでした。

難民キャンプに通う日々 ― 雨季、渋滞、制限時間

2017年夏以降、ロヒンギャ難民の流入増大に合わせ、国際機関や支援団体、企業からの訪問者なども増え続けるコックスバザール地域。キャンプ周辺の土地や物件は空きも少なく、家賃なども高騰していると聞きます。

そんな中、メンバーの実家がコックスバザールにあるので、制作期間中、私はそこから毎日キャンプへ通いました。
居場所があるのはとてもありがたいことなのですが、通常タフな私でもちょっと心が折れかける不便さをいくつか経験し……例えば一日の往復や活動で薄汚れる身を、せめて水浴びしてさっぱりしたい!と思うところ、その家は茶色い水しか出ない(鉄分が多く混ざっているためらしい)などなど、気苦労が多々ありました。

毎朝8時半頃のローカルバス(80タカ/約100円)に乗り、コックスバザールからロヒンギャ難民キャンプへ。
渋滞(支援渋滞)で、目的地のキャンプに到着するのはだいたい毎日11時半。キャンプ入域は17時撤収の規則があり、帰りも大渋滞で、家に戻るのはいつも20時頃でした。この季節の猛暑と雨、騒音やでこぼこ道、乾きに空腹、埃や泥、機材不良が起きるなど、なかなかの修行のようでした。
それでも、キャンプに着いて子どもたちと会うと癒されるし、彼らもそんな環境で暮らしてるんだから、私も!と頑張りたくなる…その繰り返しの日々でした。

吹き替え ― キャスティング

私が通うキャンプに、ジョニーが ChotoBela worksメンバーになる以前から運営責任者となっている「アマデル・パッシャラ」(ベンガル語で「私たちの寺子屋」の意)という小さな学校があります。以前、運動会と第一回目の難民キャンプでの移動映画館をした場所です。(記事URL https://worldtheater-pj.net/2018/12/16/008/)ダビングを始めるにあたって、まずはここの教師3名(ロヒンギャの男性2人とチッタゴン方言を話すベンガル人の女性)から声をもらおうと考えました。

そう、今回も吹き替えは素人を10人以上集め、ひとりずつ録り進めていかなければなりません。感情表現豊かなお母さん役、女の子のように柔らかい声の少年役、甲高い声でよく笑う少女役、ネズミの鳴き声そのままのように喋るネズミ役、意地悪風な少年とおばさん役など、それなりにお芝居することが必要。なので、過去2言語は子ども役でも動物役でも、大学生以上のメンバーを採用していて、今回もそうしようと思っていました。ところが、3人の先生以外、大人の配役がなかなか決まりませんでした(キャンプ内コミュニティの事情)。

クラスは9時からお昼の12時頃までで、私が着くとほぼ終わり頃。子どもたちが帰ったら教室で録音しようと考えていたら、いつもはすっ飛んで帰っていくという子どもたちが、私をジーっと見つめたり、ニコニコしたりして帰りません。私がこれから始めようとすることに興味津々となっていたようなのです。

「それなら…動物たちの声やってみる?」

こうして、3言語目にして初の、子どもたちと制作に挑戦するダビングが始まったのです!
予定はしてなかったけれど、思い返せば、子どもたちにカメラ教室を開いて映画制作することが、以前自分の抱いた夢だったことも思い出し(2015年、そのためのクラウドファンディングを行なってご支援いただいたにも関わらず、政治事情で半ば失敗 / 延期になってしまった)、カメラではなくダビング作業とはいえ、こんな形で実現するとは思わず、いくつかの境遇に奇跡を感じました。

吹き替え ― インタビュー用レコーダー、難民キャンプへ出戻り事情

今回ダビングを難民キャンプで行うと決めた後、生活音が鳴り響く環境で、且つ、手軽に持ち運べる良い機材はなんだろうかと、日芸時代の恩師やその仲間で録音に詳しい方々に相談して、Zoomのボイスレコーダーを手に入れていました(念のため予備で2つ購入)。バングラで買った電池が10分使用する毎に切れて怯えましたが(30本ほど持っていて助かった!)必要な録音ができ、また、小型な可愛さと風除けのモフモフが子どもたちに大人気。写真は、モフモフで先生の髭を真似しています。

お猿さんB役の最年少の男の子が「ライオンの赤ちゃん(シンホーバッチャ)」という台詞をなかなか言えずに(記事トップ画像)、みんなで応援してしまったり、「せーの!」とふたり同時に声を合わせる台詞で、同時に発声することが意外と難しいという経験もしたり、良い時に限ってイスラム教のお祈りアザーンが鳴り響いたり(Youtube URL https://youtu.be/TOWS1MQVn-8)……それでも、「やってみる」と挑戦した子たちや、他の子たちも、ダビング作業を取り囲んで、毎日16時頃まで学校に居残っていました。

いくつかの足りない配役を、チッタゴン方言を話すベンガル人の友人たちに頼みました。
そのひとつを、コックスバザールの町でお手伝いさんとして働く少女にも依頼をすることに。というのも、彼女もロヒンギャなのだと聞いて、思いついたことです。
彼女は、お父さんがベンガル人で、お母さんがロヒンギャ(1990年頃にバングラデシュへ来た)だそうで、こちらで生まれ、その後お父さんが別の女性のところへ……という理由で母子家庭になったそう。お手伝いさんとして住み込みで働く彼女に、お母さんの居場所を尋ねると、「去年から難民キャンプにいるよ」と。お母さんはもう歳老い働けず、配偶者もない。それで、今なら食糧や住み家に困らないからという理由で自ら難民キャンプに行くなんて話……ロヒンギャ難民問題の専門家ではない私は、そんなことがあるのかと初耳で驚きました。
5人兄弟は、自分ひとりぶんの生計を立てるために、彼女のようにそれぞれ働いているそう。
何はともあれ、そんな彼女もロヒンギャ語版制作を手伝ってくれたのでした。

そんなこんなで出来上がったロヒンギャ語版『ハルのふえ』の移動映画館報告は、次の記事へ続く…

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