ロヒンギャ難民キャンプの片隅で 小さな運動会と移動映画館

2018年11月7日、バングラデシュのコックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプで、ロヒンギャの子どもたちと小さな運動会、そして移動映画館を行いました。

ロヒンギャのこと

せめてその名と、彼らが在る国や問題くらいは、この読者のみなさんももう知っていることだと願います。

先月、ちょうど丸一年ぶりに、ロヒンギャ難民キャンプを訪れました。

歴史的背景や様々な判別基準から、ロヒンギャを「民族」とするしないや、彼らが暮らしていたミャンマーでは「不法移民」として扱われ、無国籍状態の境遇に置かれています。そうした迫害が激化し、昨年バングラデシュへ難民となったロヒンギャの人々は、現在では100万人以上に登ります。

彼らの存在をそんな風に難しくして、みんなが距離を感じるようにしたくないので、私の記事では、私が彼らにただ感じてるように「今バングラデシュで共に暮らす、愛すべき人々」として話したいと思います。

一年前は、命がけで国境を越えてきたばかりの人々、食糧や薬の緊急支援に隙き間なく並ぶ列、ボコボコな土地にテントがどんどん広がっていく景色、水道・電気等あらゆる物がままならない生活風景がそこに在りました。キャンプへもロヒンギャへも悪評を立てる人ばかり。問題が巨大過ぎて、私にできることはその時とても少ないと実感しました。
ただ、そんな厳しい状況でも、人々は決して噂で聞いたように暴力的とかゾンビのような形相ではなくて、知識層の大人は冷静に経緯を話してくれたし、子どもたちは私に近寄ったり離れたりしながら笑顔を見せてくるのが印象的でした。だからせめて、素直に好感を持った「ロヒンギャ」のことを、自分の周りの人たちから伝えていこうと思いました。
※ ABROADERS(アブローダーズ)という会社のサイトに当時の記事があります。よければ合わせてご覧ください。 https://www.abroaders.jp/client/article-detail/1753
自分の力を蓄えることや、出番を見極めて、彼らがここにいる限りまた会いに来ようと心に決めて、一年経ち、問題は解決せずも、キャンプの環境や人々の表情は変化してきました。ベンガル人の友人は、一年越しでキャンプ内に学校も開きました。そうして「子どもたちのために今何かしたいんだけど…」という話をしてくれて、「それなら!」と行ったのが今回の小さな運動会と移動映画館というわけです。

アマデル パスシャラ

「Amader Pathshala」は、ベンガル語で「私たちの学校」という意味。

バングラでは、英語からベンガル語化してしまったような単語も多く(カタカナのように)、学校のことも「イスクール」と言い、私もこれまで「パッシャラ」という言葉を聞いたことがありませんでした。学び舎の中でも、寺子屋に近いものをそう呼ぶそうです。

初等教育にあたる生徒が、今のところ50人(男女比は半々)。そして、難民生活を送りながらも教育活動への従事を望むロヒンギャの男性2人、キャンプ近隣に住むベンガル人の女性1人が先生として採用されています。3人ともとても優秀且つ親しみやすい人たちでした。

すぐ隣の家でブランコを発見。ロヒンギャのお父さん作だそう!

昔懐かしい遊びのような運動会

運動会!と言っても、難民キャンプという空間で行った、手作りのささやかなものです。自分たちで、できるだけのことをして、ちょっとだけスペシャルにするのが、ここにいる私たちの目標。

ロヒンギャ難民キャンプという最近出現した地域を含め、バングラデシュという途上国が、海外の様々な団体や人と関わる時、うまく言えないけれど、与えるものと受け取るものに感覚のギャップがあるような、違和感を感じることがあります。それは、そこに居残らなきゃ見えてこない残像とでもいう感じに。

支援されるマインド、もしくは支援とも思わなくなる感覚を育てないためにも、彼らと同等の立場で、喜びを生み合い、気持ちを贈り合い、励まし合うような風でなければと思っています。


運動会についてはこちら、ABROADERS に寄稿した記事の方でお読みいただけたら幸いです。 https://www.abroaders.jp/client/article-detail/2074

移動映画館の必要

運動会の全競技を終え、みんなからリクエストされていた “スペシャル弁当” としてチキン・トルカリ(カレー)を食べました。

そして、いよいよ移動映画館の番です。

ロヒンギャの子どもたちへ、WTP が昨年制作した「フィルとムー」、WTP にご提供いただいている DigiCon6 ASIA のアニメ作品から3本の合わせて4本を上映しました。どれも台詞がなく、何語を “母語” や “母国語” に持つ子でも楽しめるものです。

このスペースは学校ではなく、キャンプに視察で訪れたりする団体等の待合室のように使われている場所です。

私の持っている映写機は小さく、私ひとりや友人とふたりで移動映画館を行うなら、運ぶことに便利ですが、映写の光はその分微力で、布で外光を防ぐ努力をしても、さすがに昼間の明かるさには敵わず…私自身の微力さに比例するような映画の小ささです。今のところ、私が意図して移動映画館を行ってきた地域は、入域許可証が要たり、夜間の活動も規制されてたりする農村部でした。他の場所を選んだとしても、途上国で夜間の行動は要注意。日本語記事なので書いてしまえと思うけど、この国ではポリスや大物こそ安心できない存在なので、彼らにはあまり登場してもらいたくありません。

椅子だけは映画館みたいに立派だ〜なんて言いながら…

こんなにも映画館としてはまだ微妙な感じで、「子どもたちきっとがっかりしたろうな…」と思った上映後のクラス終業時、先生が「今日色々やったことの中で、何が一番楽しかったー?」とみんなに聞きました。すると、多くの子どもたちが「TV!!!」と答えました。TVとは、なんと映画のことを意味しています!まさかと思いました!

この一年(制作等の期間は除き、移動映画館は実質半年)間、WTPの活動をバングラ担当として始めて、移動映画館の必要を一番感じたのは、私にとってロヒンギャ難民キャンプだったかもしれない。

それには2つの理由があります。1つは、この国では実際TVと携帯電話がものすごく普及していて、映像を誰でもなんとなく観られます。他の物事の発展と比例してではなく、他が無いからこそこれらが異常に普及・所持されています。映画館はボロボロなままだし、無いのに等しい。映像がどこでも片手に観られ、それでなんとなく世界や夢の入口も広がったなら、WTPの目標は達成だ!というわけではなく、やっぱり届けたいと想うのは、ワクワクする映画館や現地の人に寄り添う映画(これは、的確にそれが何なのか模索中)。WTPの掲げる目標は、国ごとにそれぞれ少しずつ変わる…変わって良い…そういうことに気付けた今年。より良く変化し、バングラらしさを追求する来年にしたいと思います。

そうそうもう1つは、今年の春に父と出かけた青森・津軽(地元)で昔の鉱山の話を聞く機会がありました。「鉱山で働くため大勢の人々がそこに集まり、家族が暮らし始め、町ができ、お店や食堂、…映画館ができたそうです。」と。その時はふ〜んと聞いていて、バングラで長距離バスに揺られていた時ふと思い出し、私の中でロヒンギャ難民キャンプと重なりました。何らかの理由で、何もない辺境地で生活し始めた家族や子どもたちがいて、キャンプはもはや新しい集落のようです。まだ帰れる目処もなく、キャンプの外へ出かけることもできない…だったら、移動映画館が行くしかない!と。


キャンプ内の道を歩いて

そこを歩くと、ひたすら思うのが “ここは一種の魔法をかけられて、みんな子どもにされた国か…” と、不思議ちゃんではなく本気で思うぐらい、子どもたちで溢れています。親たちはもちろん、家の中にいます。60%以上が子ども(18歳未満)という統計を知った上でも、異様な風景です。

今回一緒に行った仲間の一人(チャクマ族の親友のお母さん・ジャーナリスト・旦那さんが先生)が、子どもたちみんなに何度も強くかけた言葉がありました。

「とにかく勉強しなさい!」

「あなたたちの前に立ってる学校の先生という職業、それも勉強したらなれる。今日観た映画を作る職業も、外国に行って届けるような職業も、勉強したらなれる。」

「あなたたちは何人?(子どもたち:ミャンマー!)」
「今どこにいるの?(子どもたち:バングラデシュ!)」
「どうして来たの?(子どもたち:船で! ※彼女が聞いたのは Why だけど、子どもたちは How を答えた…)」

そうやって問いかけて、最終的には「今はとにかく勉強しなさい!そうしたら道は開けるから!」と着地しました。母として、女性でも働いている身として、教育関係者として、そして少数民族という同じ境遇として…彼女の教えに私まで心が揺さぶられ、本当にその通りだと思いました。

ロヒンギャ難民問題の解決は、誰ができるのか分からないほど複雑だけど、子どもたちにそれをただ待たせるだけではだめだと思う。こうして生きられて、成長していくなら、それがどこだって、勉強して、時々この日のように子ども時代を彩るような楽しいことをして…「ロヒンギャ」として自信を持てる大人になっていってほしい。

原田 夏美

日藝映画学科卒業後、ドキュメンタリー制作会社の勤務を経て、学生時代に映像課題のテーマにしたバングラデシュに2014年より暮らし始める。中でもチッタゴン丘陵地帯や少数民族地域と深く関わり、写真・映像制作を行う。現在は活動名を “ChotoBela works” とし、バングラデシュの子どもたちの「子ども時代」(チョトベラ)を彩れるよう、映画上映を含む活動に取りかかる。